人と屏風

自分のキャパシティを超えるつらいことがあっても人間は死なないので、そのままがんばりつづけると心がしぬ。この時点で世の中は理不尽。本当はもっともっと泣きたかったし学校休みたかったし、もっと言うならあの日だって、試合なんてどうでもよかったよ。四十九日も、生きてる時に何もしてあげられなかったんだから、そういうのは、なんの意味もないからべつにいいの。そう思って試合に行ったのに、帰る時、今日1本でもシュート入れたかった。今日それができなきゃ意味なかったって、当時仲良しだった友達にぽつんと言ったのを覚えてる。涙なんて出もしなかった。なんの意味もないなんて本当は思ってなかったのかもしれない。だましだまし毎日過ごした。だれにもなんにも言えなかった。ある日友達が母親と喧嘩したことを聞いた時につい言ってしまった。私は母さんと喧嘩別れしたから、友達にはそうなってほしくなかったけど、私の話は重過ぎて、伝えたいことが伝わらないんじゃないかって、ちょっと悩んだ。

10代とは何かという定義はないけれど、私の10代はだましまだましで生きることだけだった。母さんが死ぬまでは希望に騙され、現実逃避しながら生きていた。きっと大丈夫、希望、目に見えないもの、これらを信じていた。

母さんが死ぬことですべての答えを分かってしまう。絶望した。悲しみで死ねたらいいのに、そんなことばかり考えるようになる。みんなの前で明るくできない日は学校に来たくないんだもんって言ったら、アイドルじゃないんだからと怒られたけど、私は人のためにみんなの前で明るくしてるわけじゃない。人前で明るくしていれば自分をだませるから、むしろみんなにありがとうと言いたい。1人で抱えこんだのは、自分のためだった。私にとって、何もよりも、いつも通りのみんなや日常が特効薬だった。普通に、こんなに学校こなくてなにしてたの!と言われることが私にとって何よりも癒しだった。

でもそういうのがだめなんだったんだよね。

子供のような甘い考え。現実を見ようともしないでただただ楽になれるほうへ。悲しみを乗り越えようと一度でも思ったことがあったかな。だましだまし、その場しのぎ。心が死んだ。私の人生は詰むように作られてるなんて思いたくもない。