沢山の不幸の中にただ一滴だけ落とされる幸福が

今日も疲れたぽ

わたしにできることなんてなくてなくてなさすぎて笑える。滑稽で笑えるのではなく、その欲深さに笑えるの、あるあるですか。

ごめんねの一言なんてそんなに大事じゃないのかもよ。だけど 彼女らはもっともっと、幸せでいいのに、と思う。自分だけが地獄だなんて1ミリも思ってないと願いたい。だけど自分が幸せだとは思ってない。死に損なって、家族に迷惑かけて、だからこんなとこまで逃げて来た私には、一生分からない。そんなつまらないことで、と言うと、本人たちの問題であって、それを私が外からつまらないなんて言うのは変な話だけど。そんなつまらない話で争ったり腹を立てたりするの、本当に幸せなんだなって思う。まあ私もだけどね。最近はつまらないことで腹をたてるようになって少しはデリカシーを持てたのかなと思う。みんなと同じになれた?それはつらいねそれは面白すぎるそれは楽しいね、何も思わなくてもそう言うとそう言う気持ちになれる。笑って生きてたいなんてうそだよ。もう悲しみとか悔しいとか、そういうものに出会いたくないだけ。

犯罪者を全員殺して善人だけを残してもその中から悪が生まれるという論文、感服した。いい人なんだけどねって、東京のひとはよく言うよね。本当に「いい人」だったら、君にそんな風に言われないのでは。少なくともあなたにとっては、いい人じゃないんじゃないですか。それともその言葉の主語は、そのひとじゃなくてあなたなんじゃないですか。どっちにしろ、「いい」の定義なんてどこにもないけれど、都合のイイ解釈、自分にとって都合がイイ、そんなところじゃないですか。本当に話し手にも聞き手にも悪意が微塵もない言葉は、そんなの付かなくてもそうだと伝わります。ので、必要ないよね。だけどどこに悪があるのかもわからないので注意書きは必要ってところかな。

どこからきたのかわからない「いい」というジャンルに振り分けられてしまったいい人たちの未来が見えない。極論、あいつは本当にカスだ、などと言われながらもなんだかんだ友情が続けられている人のほうが、いい人なのではないだろうか。私はそういう、こいつほんとにカスでこの前遊んだ時さ、という話を聞くと素直にああその人いい人なんだろうなあと思う。いやお前もいい人って言葉使うんかい!とつっこまれそうだが、使います。私も人間だから。私は何も神視点でブログ書いてるわけじゃないし1人の人間としてちゃんと自分が嫌いです。

悪意こそないけれど自分はいい人、そんないいひとはやめてしまえ。君は君でいーんだよ。好きにはいろんな色がある、その日その瞬間なんて二度となく善悪なんて色はない。その瞬間の色をわけのわからないモラルで塗り潰そうとしないでほしい、そんなの面白くない、東京のひとは優しくて楽しいけれど、時々面白くないなと思う、それも人間か。まあわたしも慣れるでしょう

なんかつかれちゃったなーー、寝よう