分かって

人は変われる、そのチャンスを簡単に奪うことに明るさとかあたたかさを感じられない。「怒りで」というなら、理解できる。でも、怒りもなく、ただ話のネタとしてその人のネガティヴな過去を話すことは、私はなんだか理解できないな。している人が嫌いなわけではない、世の中に善悪なんてないし、バランスはバランスのままでいい。

自分は、明るい人間でありたいと思う。それは表情とか、フレンドリーであるとか、そういうことではなく。

人は先入観というものを持つ。個人差はあっても、やっぱり誰しもあると思う。それも大切なことだと思うし、生きていくうえで避けられない。

私のバイト先のTさんは感情に左右されやすいところがあって、それで周囲と衝突したり、嫌われたりしてきたみたいだ。ただ、私にはそういう一面をあまり見せたことはなく、私の周りにはTさんを好きだというひともいる。私は、Tさんは変わりたいんじゃないかと思う。Tさんは昔、辞めると言ったことがあるらしい。それでも今、内心はどうあれ楽しそうに仕事している姿を私に見せているのは、変わろうとしているか、少し変われたからなんじゃないかな。過去のことを言われるのは、そういうことをした報いだと言われればそれまでだし、その通り。世の中に、そういう人がいなければ過去の過ちを忘れてしまう人もいるのかもしれない。

でも私は、人が本当に過ちに気付くことができるのは、変われた時だと思う。

人はみんな獣を飼ってる。人はすぐに人を傷つけるし、見下しつるしあげる。悲しいけどそれが現実だと思う。

私は変わっていくその人を見ていたい。自分の周りにいたひとたちが自分にそうしてくれたように。それと、そういう話をしなくても、もっともっと楽しい話がつまった人間になりたい。そういう意味で明るい人間でいたい。人はみんな間違えるし長所と短所はセットでしか存在しない。みんなにいい顔するやつは嫌い、とか昔は言われると嫌な気持ちになっていたけど今は違う。嫌いな人をつっぱねるひともみんなにいい顔する人もどちらも必要。この世に同じ人間なんて1人もいない、バランスはバランスだ。

非情になるためにまず情を知ることからしたい